恵みの本当の意味!日本人が恵みを理解できない理由!
2018.06.27
皆さんは普段、恵みという言葉をどのように使うでしょうか?
恐らく恵みの雨とか海の恵み、大地の恵みなんていう風に使うと思います。

このように恵みという言葉は、普段からよく使うと思います。でも、恵みの具体的な意味を説明することって、ちゃんとできるでしょうか?
実は私たち日本人は、恵みがどういうものなのかを正しく理解するのが難しい民族なのです。
日本人が伝統的に持っている考え方や文化、民族性などが、恵みの理解を妨げているのかもしれません。
今回は、恵みの本当の意味について、一緒に考えていきましょう。
恵みの意味
“恵みの意味”は辞書を調べれば、もちろん簡単に知ることができます。
そこで、goo辞書(デジタル大辞林)で調べてみたところ、このように書いてありました。
- めぐむこと。恩恵。また、いつくしみ。「自然の恵み」「天の恵み」
- キリスト教で、原罪にもかかわらず信仰によって与えられる神の愛による救済をいう。聖寵 (せいちょう) 。
辞書にはちゃんとキリスト教での恵みの意味も書いてありました。でも、実はここに書いてある内容では、恵みの本質を説明しているとは言えません。
恵みとは、ただ恩恵を受けたり、何かの利益を得ることではありません。また、”原罪にもかかわらず信仰によって与えられる神の愛による救済”という説明にも、大切なポイントが抜けています。
では、辞書には書いていない恵みの本質とは、いったいなんなのでしょうか?
それは、『無条件で与えられる』ということです。
恵みは、行いによってでも、対価を払うことでもなく、タダで与えられるものなのです。
この無条件で与えられるということが、私たち日本人には、頭で分かっても、心で理解することが難しいのです。
実はこれは私のようなクリスチャンであっても同じです。自然にしていると、すぐに恵みの本質を忘れてしまうのです。
いったい、なぜ日本人には恵みを理解するのが、難しいのでしょうか?
日本人の考え方
私はブラジル人のクリスチャンから、「日本人は恵みの事を、よく分かってないね~。特に君はそうだね。」って言われたことがあります。彼に言わせると、日本人は頑張ることを美徳にしているせいで、恵みのことが分からないのだと言うのです。(そんなことを言う彼は、私から見ると、何にでも楽天的で、適当な性格でしたが…^^;)
でも、彼の言っていることは、日本人の考え方を的確に表していると思います。
私たち日本人は、実は恵みとは反対の報いという考え方が強い民族性なのです。
報いとは、行いや対価に応じて、与えられるものです。無条件で与えられる恵みとは、全く逆のものです。
つまり、報いは恵みの対義語なのです。
例えば働けば報酬として、給料を貰うことができます。お金を払えば、物を買うことができます。誰かに親切にすることで、ご褒美が貰えるかもしれません。また、逆に悪いことをすれば、罰を受けます。犯罪を犯せば、罰金や懲役刑を受けます。
これらは良くも悪くも、全て何かの行いや対価に応じて、自分に返ってくるものなので、全て報いです。
よく日本人は勤勉で、真面目な民族性だと言われます。頑張って努力すれば、報われると信じて、ひたすら努力します。ミスをした時には、それが自分でも他人でも、責任を取ることを期待します。
それが行き過ぎると、時には自分を追い詰めて、心身の病気になることもあります。
今の日本社会では、鬱病などの精神疾患の増加が、社会問題になっていますが、その原因には日本人のこういった国民性があるのかもしれません。
私たち日本人は、自然にしていると「もっと頑張らなければ!」と考えます。思った通りに事が運ばないと「自分に問題がある」と考えがちです。
無条件で何かを得ることを期待するなんて、怠け者で悪いことだと考えてしまうのです。
このように私たち日本人は、無意識のうちに、恵みをを受けることを良しとしません。その結果、人生で様々な問題が起きてしまいます。
では、私たちが堂々と恵みを受けるためには、どうすれば良いのでしょうか?
聖書から見てみましょう。
キリスト教の神髄は恵み!

聖書には、恵みについてのメッセージがたくさん詰まっています。
この聖句はどちらもイエスが語っている言葉です。
わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
ヨハネによる福音書 14章 13節~14節
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
ヨハネによる福音書 15章 7節
この聖句でイエスが語っているメッセージは「与えられると信じて願うなら、何でもかなえられる」というシンプルなものです。
“何でも”という言葉の意味には、“遠慮”などというニュアンスは全くないと思います。
また、こちらの聖句では、更に強い表現で、恵みを積極的に受けるように勧めています。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
ヘブライ人への手紙 4章 16節
実は聖書には、恵みを遠慮なく、大胆に求めるように勧めるメッセージしかありません。努力や対価などの条件は、一切無いのです。
恵みは誰でも求めれば、いつでもどのようなものでも与えられます。でも、努力することが美徳の日本人には、なかなか理解できないことかもしれません。
頑張ってなくても、何かを犠牲にしなくても、無条件に貰う資格があるという事を、自分で受け入れる必要があります。
これは言うほど簡単なことではありません。私自身も気付くと「もっと頑張らなければ!」とか「思った通りになってないのは、自分の努力が足りないからだ」なんて考えてしまいます。
「会社で評価されるには、もっと仕事をしなければいけない」、「今の生活を維持するためには、油断せず努力する必要がある」といった考えに、無意識のうちに従ってしまうのです。
何もしなくても構わないということを、信じられなくなり、むしろ、頑張らないと、不安になってしまうのです。
実は”努力しない”のは、勇気が必要なことです。何もしなくても安心して毎日を過ごすためには、忍耐が必要なのです。
恵みを受けるためには、忍耐が必要なんて、何か変に感じますよね?でも、そうやって忍耐することによって、やがて、それでも大丈夫なことが心で分かるようになります。
そうなった時に、心は平安で満たされ、本当の意味の恵みが理解できるようになります。
是非、トライしてみてください!
最後に
私たち日本人は、恵みという言葉をよく使います。
しかし、実際には、私たち日本人は報いの文化の中で、日々生活しています。
報いではなく恵みの中で暮らすためには、次のことを意識してみてください。
- 恵みは無条件で貰えるものだと理解する
- 報いを求めて、過度に努力すると最終的に自分を追い詰める
- 本当の恵みは「何もしなくても与えられる」という、心の平安
恵みを完全に受け入れることができた先にあるのは、「これで大丈夫なんだ!」という平安な心です。
これこそが究極の恵みだと、私は個人的にそう考えています。
皆さんも、努力し過ぎず、不要な犠牲をしないことを始めてみませんか?
2018年6月27日 10:31 AM | カテゴリー: キリスト教の豆知識
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