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愛とは何か?日本語では分かりにくい愛の意味を聖書から解説!
2018.07.22

キリスト教に対する疑問や質問でよくあるのが「キリスト教の愛とは何なのですか?」というものです。

 

実はこの疑問は、キリスト教の愛に限定されたものではないようです。

 

恋愛の本やインターネットで、愛の定義を調べてみても、色々なことが出てきます。

 

あまりにも色んな定義があふれていて、もはや何が愛なのか世の中の人も混乱しているように感じます。

 

 

でも、このような混乱を生んでいる原因は、実はキリスト教にも原因があります^^;

 

元々の日本語には、キリスト教の愛の概念を表す言葉がありませんでした。そこで、本来は違う意味だった”愛”をそれに用いたのです。

現在のこのような混乱は、そこに一因があるようです。

 

それでは、現代の”“の正しい意味、正しい定義とはどのようなものなのでしょうか?

 

一緒に愛とは何かを見ていきましょう。

 

日本語の”愛”の意味

“愛とは何か?”について、少し調べただけでも色々なことが出てきます。

 

  • 「相手の言葉に耳を傾ける」
  • 「相手を責めることをしない」
  • 「相手を受け入れること」
  • 「正直にお互いを共有すること」

 

私は、どれも正しいと思います。しかし、同時に感じるのは、どれも”愛”のある側面や形を表現しているだけではないかなということです。

 

抽象的な表現ではなく、愛とはどのような概念なのかを明確にするために、まずは現代の日本語での”愛”の意味から見ていった方が良いと思います。

 

そこで、まずは辞書で愛の意味を調べてみました。

 

【愛の意味】

  1. 親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。「愛を注ぐ」
  2. (性愛の対象として)特定の人をいとしいと思う心。互いに相手を慕う情。恋。「愛が芽生える」
  3. ある物事を好み、大切に思う気持ち。「芸術に対する愛」
  4. 個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。「人類への愛」
  5. キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。→アガペー
  6. 仏教で、主として貪愛(とんあい) のこと。自我の欲望に根ざし解脱(げだつ) を妨げるもの。

※goo辞書”愛(あい)の意味“より

 

こうして辞書で調べてみると、愛にはポジティブな意味も、ネガティブな意味も含めて、様々な意味があるのです。

 

多くの人はこれらの意味の違いを意識せずに使ってしまうため、混乱しているのかもしれません。

 

実は日本語の元々の”愛”の意味は、この中の6番の意味が最も近いものです。

 

“愛欲”といった場合は、自分の欲望を満たす目的で、異性を求めることを指します。自分よりも相手の利益を優先するといった意味は無かったのです。

 

実際にキリスト教が伝来したばかりの頃は、キリスト教の”愛”を指す言葉として、”御大切(ごたいせつ)”という言葉を使っていたようです。

 

やがてキリスト教が広まるにつれて、”愛”という言葉が、本来の自己中心的な意味だけでなく、他人を大切にする意味で使われるようになりました。

 

こういった経緯のせいで、愛の定義や、愛する対象なども実に様々なものになってしまい、現代のような混乱を生んでいるようです。

 

 

こういった経緯を踏まえると、現代の”愛”の意味の混乱の元は、様々な種類の愛の概念を、”愛”という1つの言葉で表そうとすることにありそうです。

 

でも、実は聖書では、様々な愛の概念をちゃんと分けて表現しているのです!

 

そこで、次は聖書が定義する愛を紹介します。

 

聖書が定義する愛とは?

“聖書では、様々な愛の概念を分けて表現している”なんて言ってしまいましたが、実は日本語に翻訳された聖書では、やっぱり”愛”で統一されてしまっています。

 

そこで、新約聖書の原語であるギリシア語の方で紹介します。

 

日本語の聖書で”愛”と表記されている箇所では、実は次の4つの単語が使われています。

  • エロース(έρως)
  • フィリア(φιλία)
  • ストルゲー(στοργή)
  • アガペー(άγάπη)

それぞれの意味が分かると、”愛”についての理解も深まりますよ!

 

というわけで、順番に解説します。

 

エロース

エロースは、日本語では性愛と翻訳すると、一番近い言葉です。

 

異性を愛おしく想い、最終的にその相手と結ばれることを求める心です。分かりやすく言えば”恋”に近いかもしれません。

 

エロースの場合に対象になるのは、異性です。

 

また、最終的な目的は、相手と結ばれることで、自分も満たされることです。

 

フィリア

 

フィリアは、日本語ではよく兄弟愛と翻訳されます。

 

とは言え、この場合の兄弟とは、血のつながりのある本当の兄弟ではなく、友人や仕事の仲間などを指します。

 

つまり、分かりやすく言うと、”友情”が最も近いかもしれません。友人や仲間を大切にし、その人たちのために尽くして犠牲することが、フィリアです。

 

フィリアの場合に対象になるのは、友人や同僚、スポーツなどのチームメイトなど、性別を問わず、絆がある人や同じ目標を持っている人です。

 

ストルゲー

ストルゲーは、日本語では家族愛と翻訳されます。

 

血のつながった子供や親を大切にし、助け合うことがストルゲーです。

 

親が子供を大切に守り育てることや、逆に子供が親を信頼して尊敬することなどは、みんなストルゲーになります。

 

アガペー

最後のアガペーだけは、日本語の中にはピッタリの言葉がありません。

 

強いて言えば、無条件の愛と翻訳されることが多いようです。

 

アガペーの場合は、対象に条件はありません。また、見返りなども全く期待せず、ただ相手の利益になる事だけを考えて行動します。

 

このアガペーの愛が、どういうものかをイエスが聖書の中で説明してくれています。

 

その一節を紹介します。

 

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

ルカによる福音書10章25節~37節

 

これはいわゆる”善きサマリア人”と呼ばれる、聖書の中でもとても有名な箇所です。

 

このたとえ話の中で、追いはぎに襲われた人と何の関わりも無いにも関わらず、サマリア人は無条件で助けました。しかも、彼は宿代まで負担しました。

 

このような愛がアガペーなのです。

 

アガペーの対象は、家族や友人を始め、道ですれ違うような人も全て含まれます。

 

相手が赤の他人であっても、自分が忙しかったり疲れている時でも、必要であればその人の利益になることをするのが、アガペーです

 

“無条件”というのは、とても難しいですね。しかし、友人同士でも、職場の同僚でも、夫婦や子供、親兄弟であっても、全ての人との関係において、最も重要な愛です。

 

見返りを期待せず、無条件で行うのであれば、それは全てアガペーです。

 

ちょっとしたことでも良いので、是非、アガペーを実践してみてくださいね。

 

最後に

今回は愛とは何か?について、書いてみました。

 

日本語では、よく分かりにくい”愛”という言葉ですが、聖書では分かりやすく解説してくれています。

 

聖書では次の4つの愛が使われています。

 

  • エロース(έρως)
  • フィリア(φιλία)
  • ストルゲー(στοργή)
  • アガペー(άγάπη)

 

実は4つの愛の中で、アガペーだけは人間特有の愛なのではないでしょうか?

 

無条件で他人を愛することができるのが、人間らしさだと思います。

 

世の中の人たちが、少しでもアガペーの愛で愛し合うことができれば、今よりも少し暮らしやすくなるのではないかなと思います。

 

是非、皆さんもちょっとしたアガペーの愛で、身近な人を愛してみてください。

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