同調圧力に負けない生き方!クリスチャン的な日本社会での上手な対応術
2021.01.24
日本社会で生活する時の難しさの一つとして、最近よく言われるのが「同調圧力」というものの存在です。
みなさんもこんな事を言われる形で、同調圧力を受けたことがあるかもしれませんね。
- そんなの常識でしょ?
- 協調性を持ちなさい!
- そんなことするなんて恥ずかしい!
- チームを尊重しなさい!
このような考え方は、日本人には自然に備わっているのではないでしょうか?
私の場合はクリスチャンなので、日常生活で同調圧力を感じるシチュエーションがよくあります。
キリスト教には、多くの日本人が自然に持ってる価値基準とは、明らかに違ったものがあります。同調圧力をかけられても譲れないものばかりなので、不快な想いをすることも多かったです。
みなさんもこの同調圧力というものに、嫌な経験をさせられたことがあるかもしれませんね。
そこで、常に同調圧力にさらされがちな、クリスチャンの立場から同調圧力への上手な対応方法を考えてみました。
日本でクリスチャンとして生活していて起きること
キリスト教や聖書には、私たちクリスチャンにとってとっても大切にしている教えがあります。でも、それらは現代の多くの日本人の価値観とは、違ったものも多いです。
例えば私の場合、こんな経験があります。
飲み会に参加しないのはチームを大切にしていない
クリスチャンの私にとって苦手なのが、職場の飲み会です。
なぜなら、同僚たちの中には、グチを言ったり、他の同僚や上司、お客さんの悪口を言う人が多いからです。中には猥褻な話をしたり、自分の妻の悪口を言ったりする人もいます。
そんな話題には付き合えないですし、付き合いたくもないので、黙ってひたすらその話題が終わるのを待つだけです。そんな私と飲んでいても、周りの人もつまらないだろうなと思います。
また、二次会と称して女性の接待を伴うお店に、連れていかれそうになることもありました。そういう時に決まって言われるのは「みんなが行くのにシラケるから、一緒に来なさい!」なんてセリフです。
そんなお店には来たくないので、無理やり断って帰ってしまいました。
それ以来、飲み会に誘われても一切行かないようにしていたら、ある日上司から「飲み会に参加しないのはチームを大切にしていない」なんて言われてしまいました。
優しいだけじゃダメだから、みんなを見習いなさい
クリスチャンの私には、相手を傷付けることはできません。また、相手を騙すようなウソもつけません。
でも、予算やスケジュールなどがかなり厳しい仕事をしていた時には、協力会社の人たちに厳しく理不尽な要求をするように、求められることがありました。
また、仕事をしていると様々なシチュエーションで、ウソを付くことを求められます。電話を取り次ぐときに居留守を使うように求められたり、業務上の手続きで必要な作業を省くように指示されたこともあります。
そのような要求に従わないようにして仕事をしていたら、上司から「優しいだけじゃダメだから、みんなを見習いなさい」と言われてしまいました。
問題はみんなが不幸になっていること
ここで重要なのは、私は自分の判断や価値観を正当化しているわけではないということです。
当然、このような私の考え方に共感できない方もいるんじゃないかと思います。もしかすると、私の昔の上司たちは、私の態度が悪いせいで、苦言を言わざるを得なかったのかもしれません。
同調圧力が悪いのではなく、自分を含めた集団全員が、不愉快な経験をしたり、損害を受けたりすることが問題なのではないでしょうか?
同調圧力が発生する理由とは?
そもそも同調圧力というものは、なぜ発生するのでしょうか?
日本人は和を重んじる民族性です。多少自分を犠牲にしても、集団全体の利益を優先させます。この方が結果的にみんなが、幸福になるという考え方です。
それは日本人の素晴らしさだと思います。
でも、時には周りに合わせることに葛藤を感じることが増えている気がします。
みなさんもこんなことを感じながら、嫌々周りに合わせた経験があるかもしれませんね。
- 仲間外れにされたくない
- 愚か者と思われたくない
- 相手に嫌われたくない
- 相手の顔を立てたい
- 問題を起こしたくない
現代は、生き方や考え方が多様化してきています。そんな中で、自分を犠牲にして集団の利益を優先させた時に、失うものが大き過ぎることが増えてきています。
無理して、周りに合わせ過ぎると、自分が不幸になります。でも、自分を優先し過ぎてわがままを通せば、みんなの利益が損なわれて、結果的に自分も損をすることになります。
では、どうすると良いのでしょうか?
実はイエス・キリストも、常に同調圧力にさらされていた方でした。そんなイエス・キリストから、私たちがどうすべきか学ぶことができます。
イエス・キリストの同調圧力への対処方法
イエス・キリストは、当時のユダヤ人社会の文化や律法に、反する型破りなことを繰り返していました。
律法を守ることを最重要視していたユダヤ人の中にあって、イエス・キリストが受けていた同調圧力は、現代の私たちとは比べ物にならないほどのものでした。
そして、聖書のこの場面でも、暗にユダヤ人の決まりを守るように圧力を受けました。
<マタイによる福音書 17章24節~27節>
この場面で面白いのは、弟子のペトロはイエス・キリストに無断で“納めます”と回答してしまっていることです。彼は同調圧力に、屈してしまったわけです。
しかし、イエス・キリストは神様の子供に等しい存在でした。そのため、神殿税を納める必要が無い、正当な理由があったのです。だからと言って、ここで頑なに神殿税を納めるのを拒めば、板挟みになったペトロが窮地に陥ります。神殿税の収税人たちとも、トラブルが起きてしまいます。
そこで、湖の魚から見つけた銀貨を神殿税として納めるように、ペトロに指示しました。
こうすることで収税人たちとのトラブルは避けられ、ペトロの顔も立ちます。しかも、魚から見つけたお金なので、誰の懐も痛みません(^^♪
イエス・キリストは、誰も困らないのであれば、“神の子に神殿税の納税義務は無い!”という原則にこだわりませんでした。
私たちも少し柔軟に考えれば、このような賢い対応ができるのではないでしょうか?
現在の私
思い返すと、昔の私にはイエス・キリストのような、配慮や賢さが足りなかったと思います。自分の気持ちを優先させて、真正面から要求を拒否し続けていました。
そうやって、同調圧力をはね続けることで、イエス・キリストの言葉を借りると、周りの人を“つまずかせて”ばかりいました。
今では重要度が高い飲み会には、なるべく参加しています。そして、宴会の場ではなるべく女性たちがいる近くに、座るようにしています。なぜなら、最近はハラスメントに対する意識も高まっているので、女性の前で猥褻なことを話す人はいないからです(^^;
仕事をする時も、自分が無理な要求をしたり、ウソをつくのが苦手であることを一緒に仕事をする人に、説明するようにしています。現代の日本社会は、ちゃんと話せば理解してくれる人ばかりだからです。
もし、それだと難しいと言われれば、仕事を変えてもらうようにしています。多少評価が下がっても、その方が、自分も一緒に仕事をする人にとっても良いことだからです。
まとめ
“同調圧力”を悪者扱いして、何でも真正面から否定してしまうと、最終的に困るのは、結局自分自身ではないかと思います。
自分も周りの人も、みんながハッピーな対処方法は必ずあると思います。
イエス・キリストのような知恵を持って、上手な対応方法を考えてみてくださいね(*^^)v
2021年1月24日 9:59 PM | カテゴリー: 生活の知恵
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